桂小五郎(後の木戸孝允)の有名な話のひとつに、「薩長同盟の影の立役者」というエピソードがあります。
◆ 薩長同盟の影の立役者としての桂小五郎
1866年、幕府に対抗するため、敵対関係にあった薩摩藩と長州藩が同盟を結んだ「薩長同盟」は、倒幕への大きな転機となりました。この同盟の成立には坂本龍馬の仲介が注目されがちですが、実際には桂小五郎が冷静かつ柔軟な対応を見せたことが同盟成立のカギでした。
長州藩側の代表だった桂は、薩摩藩の西郷隆盛と会談を重ね、「両藩の未来を優先し、過去の因縁を乗り越えよう」と説得。交渉の中では、西郷から侮辱的な態度を取られる場面もあったとされますが、それでも感情を抑えて同盟成立を最優先した姿勢が評価されています。
剣術は苦手だった?
桂小五郎は、幕末の長州藩の志士として名を馳せましたが、実は「剣術はあまり得意ではなかった」という説があります。これは、桂の性格や体格、そして当時の剣術道場でのエピソードからうかがえるものです。
■ 練兵館での逸話
桂は、江戸の剣術道場「練兵館」(神道無念流)で修行していました。ここは近藤勇や山南敬助など、新選組の面々も通っていた名門道場です。桂は入門当初、体が小柄で線が細く、力任せの稽古では苦戦することも多かったと伝わっています。
■ 「文の桂、武の久坂」と呼ばれた理由
長州藩には「文の桂、武の久坂(玄瑞)」という言葉があります。これは、桂が学問と政治に優れていた一方で、久坂が剣術や行動力で抜きん出ていたことを表しています。この言葉は、桂が戦闘能力よりも知略・弁舌で活躍したタイプだったことを示唆しています。
■ 剣より筆と口が武器
桂は、討幕を掲げる活動の中で実際に戦場に立つ機会もありましたが、自ら剣を振るって目立った活躍をしたという記録は少ないです。それよりも、交渉術や計略、藩内の調整役としての活躍が多く残されています。
■ 「剣は道を開くための手段」
桂自身も、剣術を否定していたわけではなく、「剣は道を開くための一手段」として理解していたようです。ただし、彼の本領はむしろ論理的思考と説得力ある話術にあったのです。
◆ まとめ
桂小五郎は、剣客揃いの幕末志士の中にあって、「剣術よりも頭脳で勝負した稀有な人物」でした。そのため、「剣術は苦手だった?」という説は彼の全体像をより立体的に見せる一面と言えるでしょう。
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変装と潜伏の達人だった
◆ 桂小五郎は変装と潜伏の達人だった|逃亡生活を支えた巧みな偽装術
禁門の変(1864年)の失敗により、長州藩は幕府から「朝敵」とされ、藩士たちは徹底的に追われる立場となりました。その中でも特に指導的立場にあった桂小五郎は、幕府の目をかいくぐって京都に潜伏を続け、後の倒幕につながる活動を水面下で展開していきます。
■ 京都での潜伏生活は1年以上
禁門の変以降、幕府は桂の首に懸賞金をかけて厳しく追跡していました。にもかかわらず、桂は1年以上にわたり京都の市中に潜伏し続け、捕まることなく逃げおおせました。これは、彼が変装の技術に非常に長けていたこと、また京都の市民や芸妓との信頼関係を築いていたことによるものです。
■ 女装して逃げたという逸話
桂の変装エピソードで最も有名なのが、女装して逃亡したという話です。幕府の追手から逃れるために、京都の芸妓の着物を借りて女性に扮し、涼しい顔で通行人に紛れて姿をくらませたと言われています。このエピソードは、冷静沈着で機転が利く桂の性格を象徴するものとして語られます。
■ 商人・僧侶・町人などにも変装
女装に限らず、桂はさまざまな職業人に扮して潜伏生活を続けました。商人や旅人、僧侶に変装したこともあったとされ、体格や所作を的確に変える演技力もあったといわれています。江戸時代の変装は今よりも簡素な手段しかありませんが、それでも人目を欺けるだけの工夫と洞察力を持っていたのです。
■ 芸妓や市民の支援を受けて生き延びた
特に有名なのは、京都の幾松(のちの妻・木戸松子)をはじめとする芸妓たちや町人の支援を得ていた点です。幾松は桂の潜伏を手助けし、食事や衣類の提供だけでなく、追っ手の情報も知らせるなど積極的に動きました。桂はその恩義を生涯忘れなかったと伝わります。
■ 幕末一の「潜伏上手」
新選組などの治安勢力が活発だった京都で、これだけ長期に渡って捕まらなかったのは異例でした。実際に、新選組局長の近藤勇も「桂は神出鬼没でつかみどころがない」と語ったとされるほどで、「幕末一の潜伏上手」とも称されます。
◆ まとめ
桂小五郎の変装・潜伏の技術は、単なる逃亡のためではなく、生き延びて長州再建と倒幕を成し遂げるための戦略的行動でした。剣ではなく知恵と変装で戦い抜いた桂の姿は、他の幕末志士とは一線を画すユニークな存在と言えるでしょう。
坂本龍馬のファンだった?
◆ 坂本龍馬のファンだった?桂小五郎が認めた維新の立役者
幕末に活躍した志士たちは、時に敵対し、時に協力しながらも、それぞれの思想と行動に大きな影響を受け合っていました。中でも、長州藩の桂小五郎(後の木戸孝允)は、土佐藩の坂本龍馬に対して深い敬意と好意を抱いていたとされる逸話があります。
■ 龍馬がいなければ薩長同盟は成立しなかった
1866年に成立した「薩長同盟」は、幕府に対抗する体制づくりの中で最も重要な転機の一つです。長年、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を結びつけたこの同盟の立役者は坂本龍馬でした。
桂は、この薩長同盟の交渉において、当初は薩摩藩の不誠実な対応に強い警戒心を抱いていたものの、坂本龍馬の仲介によって西郷隆盛との対話が実現します。最終的に、桂は龍馬の誠意と情熱に動かされ、同盟に踏み切る決断をしました。
このとき、桂は「坂本君の存在なくして、薩長の和解はなかった」と語ったとされており、龍馬の調整力と大局観を高く評価していたことがうかがえます。
■ 性格は正反対、だからこそ惹かれた?
桂は理知的で慎重な性格、龍馬は自由奔放で行動派――その正反対の性格こそが、桂にとって龍馬を「自分にない強みを持つ人物」として魅力的に映らせた要因だと考えられます。
実際、桂は龍馬の柔軟な発想と垣根を超えた人脈形成力、そして戦略家としての視点に大きな刺激を受け、彼のことを「あれほどの器はなかなか出ぬ」とまで称賛していたという記録もあります。
■ 龍馬暗殺に対する深い悲しみ
1867年、坂本龍馬が京都・近江屋で暗殺された際、桂はその報を受けて深い悲しみに包まれたと伝わります。以後、桂は維新政府内でも「龍馬の構想した政権構想」を引き継ぐかのように、大政奉還後の体制整備に尽力していきます。
■ 龍馬の「船中八策」に影響を受けた?
坂本龍馬が構想したとされる「船中八策」は、近代国家の基本構想とも言われています。桂はこれに直接言及してはいませんが、後の五箇条の御誓文や政治制度設計において、龍馬の理念を意識した形跡が見られるとも指摘されています。
◆ まとめ
桂小五郎は、坂本龍馬のような自由奔放な志士をただの奇人として片づけず、むしろ自らの補完的存在として高く評価し、信頼を寄せていたことがわかります。慎重派の桂が、龍馬のような破天荒な人物に惹かれたのは、幕末という混沌の時代だからこそ起きた歴史の妙といえるでしょう。
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「木戸孝允」という名前に深い意味
◆ 「木戸孝允」という名前に込められた深い意味とは
桂小五郎は、明治維新後に「木戸孝允(きど たかよし)」と改名します。この改名には、単なる名前の変更を超えた思想的・政治的な意味が込められていました。
■ 「桂小五郎」から「木戸孝允」へ改名した背景
1870年(明治3年)、新政府の中核にいた桂は、維新後の近代国家建設において自らの立場を明確にするために、新たな時代にふさわしい名を選びました。このとき選ばれたのが「木戸孝允」です。
「木戸」は、桂が長州藩の藩医・木原家の養子になった経験を意識し、それをもじったものとされます。また、「桂」という名字は尊王攘夷運動で幕府の敵とされていた経緯もあり、新政府での印象を和らげる意図もあったとされます。
■ 「孝」と「允」に込められた儒教的価値観
この名の中で特に注目すべきは「孝允」という部分です。それぞれの漢字には以下のような意味があります:
- 孝(こう):親に対する忠義・敬愛。儒教における最も重要な徳目の一つ。
- 允(いん/まこと):誠実で真っ直ぐな心、真理にかなった正しい行いを意味する。
この2文字の組み合わせには、「誠実で親孝行な人格者として、新しい国家に尽くす覚悟」が込められています。桂が儒学を深く学んでいたことからも、この命名には明確な思想的背景があると考えられています。
■ 明治政府の模範となる存在を意識した命名
木戸は、維新の混乱期においても「倫理的リーダーであるべき」という自覚を強く持っていました。「孝」や「允」という漢字を選んだのは、新時代における政治家のあるべき姿を、自らの名前で体現しようとしたからです。
この名には、政治的責任だけでなく、「徳のある人物」として国民に信頼される存在であろうとする強い意志が反映されています。
■ 幕末の活動からの一線引きも意図
また、「木戸孝允」という新しい名前を名乗ることで、過激な尊王攘夷運動をしていた「桂小五郎」とは異なる立場になったというシグナルを新政府内外に示す意図もあったとされます。
名前を変えることによって、「革命家」から「国家の制度設計者」への脱皮を果たしたと見ることもできます。
◆ まとめ
「木戸孝允」という名前は、単なる改名ではなく、儒教的徳目・政治的責任・自己の刷新を込めた、深い思想的転換を表すものでした。そこには、旧時代からの断絶と、新時代における「模範的リーダー像」への強い意志が読み取れます。
まとめ
桂小五郎(後の木戸孝允)は、剣術こそ苦手だったものの、抜群の頭脳と冷静沈着な判断力で幕末から明治維新にかけて活躍した知略の人でした。女装や変装で幕府の追跡をかわし、潜伏生活を続ける胆力、そして坂本龍馬に深い敬意を抱きつつ薩長同盟を成立させる交渉力は、まさに陰の立役者といえる存在です。明治維新後に改名した「木戸孝允」には、儒教的な理想を掲げて新時代の政治を導こうとする強い決意が込められていました。武ではなく「知」で歴史を動かしたその姿は、現代にも通じるリーダー像として光を放ち続けています。
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