■ 「日本初の内閣総理大臣」になった男
伊藤博文は、1885年に内閣制度が創設された際、日本で初めての「内閣総理大臣」に任命された人物です。それまでの太政官制度を廃し、欧米型の行政機構を導入する流れの中で、新しい国家のリーダー像が求められていました。伊藤はドイツのプロイセン憲法を範として近代的な立憲政治の導入を進め、大日本帝国憲法の起草にも中心的に関わります。
その初代総理としての任務は、行政機構の整備、政党との折衝、そして天皇との関係性の調整と極めて多岐にわたっており、日本近代国家の基礎を築いた立役者として現在も語り継がれています。
実は「日本初のパスポート所持者」だった?
伊藤博文は、1863年(文久3年)、長州藩の命により、密かにイギリスへ留学することになります。このとき彼が所持したのが、幕府から発行された「渡海免状(とかいめんじょう)」という文書で、これは後に「日本最初のパスポート」に相当するものとみなされています。
当時の日本はまだ鎖国政策の名残が強く、海外渡航はきわめて制限されており、許可を得ずに外国に出ることは重罪とされていました。しかし、開国を迎えたばかりの激動の時代において、長州藩など進歩的な藩は西洋の制度を学ぶ必要性を痛感しており、伊藤博文と井上馨の2人を極秘に英国へ派遣する計画を立てたのです。
彼らの旅は「長州ファイブ(長州五傑)」と呼ばれる日本近代史の象徴ともなるものでした。この際、幕府を通じて正式に渡航許可を取り、伊藤に発行されたのがこの「渡海免状」です。これが明治政府以前に発行された、現存する最古級の“パスポート”とされており、現代の旅券制度の原点と考えられています。
この文書には、伊藤博文の名前・年齢・身分・目的地などが記載されており、外国人からの不審視や拘束を避けるための重要な身分証明でもありました。現在、この「パスポートに相当する文書」の一部が保存され、近代日本外交史の出発点として紹介されることもあります。
伊藤はこの貴重な文書を携え、上海を経由してロンドンへと向かい、政治・産業・法制度など多岐にわたる西洋の近代知識を学びました。この英国滞在が彼の政治思想に強い影響を与え、後の「大日本帝国憲法」の制定にまでつながる一大転機となったのです。
🔍補足:なぜ「日本初」とされるのか?
当時の“旅券制度”はまだ未整備であり、個人に対して政府が海外渡航を許可する書面は極めて珍しいものでした。伊藤博文のように、個人名義でかつ公的な目的で渡航し、正式な許可書を持っていた事例はきわめて初期のものとされ、「事実上の第一号」と歴史学でも評価されています。
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下級武士出身ながら“お雇い外国人”に可愛がられていた
伊藤博文は、長州藩の下級武士(足軽格)の家に生まれた身分の低い出自でした。しかし、彼の人生を大きく変えたのは、その向学心・語学力・順応性の高さでした。
とくに注目すべきは、明治初期に設立された「工部大学校」や「官立学校」において外国人教師(いわゆる“お雇い外国人”)たちと深く関わりを持ち、彼らから非常に好意的に評価されていたという点です。
中でも代表的なのが、アメリカ出身の教育者ウィリアム・グリフィス(William E. Griffis)との関係です。グリフィスは伊藤を「日本の若者の中で最も柔軟な知性を持つ者の一人」と高く評価し、自宅に招くこともしばしばあったと伝えられています。
伊藤は当時としては非常に珍しく、英語を習得するだけでなく、西洋式の礼儀作法や政治思想にも理解が深く、対等な議論ができる若者でした。これに感動した外国人教師たちは、彼に特別な指導を施し、政治や経済制度、さらには立憲思想までも伝えることに力を注いだのです。
こうした経験は、伊藤がのちにドイツに赴き「プロイセン憲法」を研究する素地となり、最終的に大日本帝国憲法の制定へとつながっていきます。つまり、お雇い外国人との交流がなければ、伊藤の近代化構想や憲法観は育たなかった可能性が高いのです。
さらに、伊藤は当時の日本人には珍しく外国人に対する偏見がなかったとも言われており、異文化を「吸収する側」ではなく「対話する側」として接していたことも、信頼を得た大きな要因でした。
🔍まとめ:身分を超えた“国際感覚”
伊藤博文は、決してエリート出身ではありませんでしたが、誠実な態度・柔軟な頭脳・語学力を活かして、外国人たちから“可愛がられる”という人間関係の才能を発揮しました。この“人たらし”の資質が、やがて明治政府の中心人物、そして日本初の総理大臣へとつながっていく大きな土台となったのです。
暗殺された際、鞄の中には“ラブレター”が入っていた?
1909年(明治42年)10月26日、伊藤博文は韓国統監としての任務にあたり、ロシア代表との会談のために中国東北部・ハルビン駅を訪れていました。この地で、朝鮮独立を唱える義士・安重根(アン・ジュングン)によって銃撃され、命を落とします。享年68歳でした。
この歴史的事件は東アジアに大きな波紋を呼びましたが、その裏側でひそかに語られてきたのが、「伊藤の鞄の中に女性宛の手紙=ラブレターが入っていた」という逸話です。
暗殺後、伊藤の遺体とともに所持品が回収され、その中には外交関連の機密文書や日記帳のほかに、女性との個人的な書簡が複数含まれていたとされています。公的な場で暗殺されたにもかかわらず、極めて私的な内容の手紙があったことが関係者の間でささやかれ、当時の新聞記者や政界関係者の間で「色男・伊藤」のイメージを裏づける象徴的なエピソードとして広まったのです。
▶ では、それは誰への手紙だったのか?
明確に「誰宛」であるかまでは公表されていませんが、伊藤博文には晩年に至るまで複数の愛人や妾がいたことが記録されています。中でも有名なのが、芸妓として名を馳せた「おすず」や「おきぬ」などとの関係です。彼らとの間には書簡のやり取りも多かったとされ、当時の親しい政治家や使用人の証言から、外遊や任務の合間に手紙を書くことが習慣化していたことがわかっています。
伊藤は“女好き”として知られた人物でもあり、総理大臣の任を終えた後も、政界の重鎮として影響力を保ちながら、芸妓遊びや女性関係に精力的だったというエピソードが多く残っています。そのため、暗殺現場の所持品の中に私信が含まれていたことは、さほど不自然ではありません。
🔍 この逸話が意味するもの
この逸話は、伊藤博文が「鉄の政治家」ではなく、感情豊かで人間臭い一面を持っていたことを象徴する話として語り継がれています。死の直前まで公務と私情の両面を抱えていたその姿は、明治日本を築いた“男の本音”とも言えるかもしれません。
また、この「ラブレター逸話」は、歴史家の間ではやや尾ひれが付いて広まった可能性もあるため、「公式史料に明記されているわけではない」という点には注意が必要です。ただし、複数の伝記・回想録に類似の証言が記されており、“史実とされるに足る可能性のあるエピソード”として扱われています。
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一度は「大日本帝国憲法」の草案を燃やそうとした
伊藤博文は、日本の近代化の中心人物として、「大日本帝国憲法」制定の中心的役割を果たしたことで知られています。1882年から欧州諸国、とくにドイツ・オーストリア・イギリスを歴訪し、プロイセン憲法を中心に各国の立憲制度を研究。その後、帰国してからは憲法草案の起草に専念することになります。
しかし――この草案作成の過程は、実は平坦な道のりではありませんでした。
憲法制定に向けた議論の中で、伊藤が起草した草案は、周囲の政府高官や保守的な元老たちから「天皇の権威を損なうおそれがある」「民意を過度に反映しすぎだ」などと厳しく批判されました。また、当時は西洋思想を全面的に導入することに抵抗を覚える層も多く、伊藤の構想に理解を示す者は限られていました。
そのような重圧の中、伊藤はある日、苛立ちと失望から「こんなものは、燃やしてしまったほうがいい!」と怒声をあげ、実際に草案原稿を火鉢に投げ込もうとしたと伝えられています。これは伊藤の側近や、当時の関係者の記録によって残されており、決して作り話ではありません。
幸いにも、周囲の説得によって草案は焼却を免れましたが、この行動には伊藤の憲法にかける熱意と、孤独な戦いへの疲弊感、そしてプレッシャーの重さが如実に表れていたといえるでしょう。
当時の伊藤は、「アジア初の近代憲法を成功させなければならない」という国家的使命感と、「西洋思想をそのまま取り入れてはならない」という日本独自のバランス感覚との間で、精神的にも極限状態にあったと考えられます。
最終的に、1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法は、君主主権の立場を取りながらも、立法府・司法府との権限分立を意識した近代的な構造を取り入れており、伊藤の構想力とバランス感覚が結実したものとなりました。
🔍 この逸話が語るもの
このエピソードは、単に「感情的な行動」として片づけるのではなく、伊藤博文という人物が、国家の未来を本気で案じ、命を削って制度設計に挑んでいた証拠として語り継がれています。
「日本の近代憲法は、怒りの火鉢の前から生まれた」と言っても過言ではない、歴史の裏側にある人間ドラマです。
まとめ
日本初の総理大臣として名高い伊藤博文ですが、その生涯には教科書では語られない人間らしい一面や情熱的なドラマが秘められていました。
若くしてイギリスへ渡航した際には、「日本初のパスポート」と呼ばれる渡海免状を携え、異国で国家の未来を見つめた先見性。
下級武士の身分ながら、お雇い外国人から厚く信頼され、国際感覚と吸収力で頭角を現した姿。
晩年、暗殺される直前のカバンに“女性宛の手紙”が残されていたという逸話は、冷徹な政治家ではなく情に厚い人物像を映し出します。
そして、大日本帝国憲法の草案づくりでは、孤立無援の中、ついには「燃やしてしまえ」と叫ぶほどの葛藤に追い詰められながらも、近代国家の礎を築き上げた執念と責任感――。
伊藤博文という人物は、ただの宰相ではなく、「情」「信」「胆力」を併せ持った、日本近代史の裏と表を歩んだ立役者だったのです。
その知られざる逸話にこそ、現代を生きる私たちが学ぶべき“国家と個人の在り方”が見えてくるのではないでしょうか。
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