📖【西南戦争と“城山の別れ”――壮絶な最期のエピソード】
1877年(明治10年)、西郷隆盛は明治政府の政策に反発し、ついに西南戦争を起こします。薩摩士族を中心とした不満分子を率いて新政府軍と戦い、日本最後の内戦へと突入しました。
戦局は圧倒的に新政府軍が有利。弾薬や兵力で劣る西郷軍は、次第に追い詰められ、ついに鹿児島・城山で最後の時を迎えます。
この時、西郷は腹部を銃で撃たれて負傷し、自らの介錯(かいしゃく/切腹の手助け)を部下に頼んだとされます。そして、有名なセリフ――
「もうここらでよか」
(意訳:もう、ここで終わりにしよう)
この言葉を残し、潔く自刃して命を絶ったと伝えられています。その最期は、まさに武士としての誇りを貫いたものであり、今も多くの日本人の心に刻まれています。
実は「俳句」を詠む文化人だった?――武人にして文人の素顔
■ 豪放磊落な英雄に秘められた“詩情”
西郷隆盛といえば、明治維新を成し遂げた英雄として、また西南戦争で壮絶な最期を遂げた武人としてのイメージが強い人物です。しかしその一方で、彼は**繊細で情緒に富んだ精神を持つ「文人」**でもありました。
彼は若い頃から、漢詩・和歌・俳句といった詩文を嗜み、日常的に句作を楽しむ文化的素養を持っていたことが、残された手紙や記録から明らかになっています。
■ 名句に込められた人生哲学
西郷が詠んだ句の中で最も有名なのが、次の一句です。
「何事も ならぬといふは なきなりけり」
この句は、困難に直面した時でも「できない」と諦めることなく、挑戦し続けるという西郷の人生観を表しています。彼はこの言葉をしばしば周囲の人々に語り、教育者・指導者として、心を奮い立たせる言葉として用いていたと言われています。
単なる文学的趣味にとどまらず、彼の詩句には自己の哲学や政治観がにじみ出ており、まさに言葉によって自らを律していたのです。
■ 奄美や沖永良部で詠まれた静かな句たち
流刑地であった奄美大島や沖永良部島では、西郷は多くの時間を自然の中で過ごしました。その静かな時間の中で、島の風景や暮らしに根ざした句を詠んだとされています。たとえば――
「月照るや 島の寝覚めの 潮の声」
夜の海辺で目覚め、静かに響く潮騒を聞いた情景を詠んだこの句からは、波音と月光の中に孤独と安らぎが共存するような、深い精神性が伝わってきます。
■ “武”と“文”を併せ持つ人格者
西郷の詩作は、ただの教養ではありませんでした。彼は実践の人でありながら、同時に精神の人でもあったのです。
人望を集めた理由のひとつには、常に言葉と心で人々に語りかけた姿勢があったとされています。剣や力だけではなく、言葉の力を信じ、磨き、それを人々の心に届けることのできる指導者だったのです。
■ 西郷の「文人」像はなぜあまり知られていないのか?
その理由のひとつに、彼自身があまり自らの文化的側面を表に出すことを好まなかったことが挙げられます。西郷は非常に謙虚な人物で、「人に見せるための文学」ではなく、自省や精神鍛錬のための文学を追求していたため、世間に広く知られる機会が少なかったのです。
📝まとめ
武人・政治家としての西郷隆盛のイメージの裏側には、自然を愛し、言葉を大切にし、静かに詩を詠む一人の文人としての姿がありました。その一面を知ることで、彼という人物の奥深さと魅力を、より立体的に理解することができるでしょう。
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「ペット好き」だった?――愛犬を何匹も飼っていた
■ 西郷=“犬連れの大男”として庶民に親しまれていた
西郷隆盛は、幕末・明治期を代表する英雄として知られる一方で、無類の“犬好き”としても有名です。当時の人々の間では、すでに「西郷といえば犬」というイメージが定着しており、“犬を連れた大男”として親しまれていたほど。
彼の愛犬との散歩風景は日常の一コマであり、庶民の目にもたびたび触れていたようです。明治時代の新聞や手記などにも、「犬と共に歩く西郷」を目撃した記録が残されています。
■ 愛犬「ツン」との深い絆
西郷の愛犬の中で特に有名なのが、「ツン」という名前のメス犬です。
「ツン」は薩摩犬の系統とされ、西郷が鹿児島から東京に移った際にも連れて行ったといわれています。性格は勇敢で賢く、西郷がどこへ行くにも常に寄り添っていた忠犬だったとのこと。
現在、東京・上野公園に建てられている西郷隆盛像にも、この「ツン」が足元に描かれているのは、まさにその深い絆を象徴するものです。
ちなみに、西郷の遺族は「像の犬はツンではなく別の犬」と語っている説もありますが、それでも“犬連れの西郷像”が定着していること自体、彼の犬好きが多くの人々に印象づけられていた証拠とも言えるでしょう。
■ 犬は「心の癒し」であり「信頼できる同志」
なぜ西郷がこれほどまでに犬を愛したのか――その理由については、さまざまな推察があります。
ひとつは、犬の“無償の忠誠”に深い共感を抱いていたという説。西郷は人の裏切りや策謀に苦しめられることも多く、そんな中でも決して裏切らず、純粋に寄り添ってくれる犬の存在に癒されていたのかもしれません。
また、犬たちは単なるペットではなく、ある意味で“同志”や“心の友”のような存在であったともいわれます。西郷にとって、言葉を交わさずとも通じ合える存在として、犬は心のよりどころになっていたのでしょう。
■ 飼っていた犬の数は十数匹とも?
記録によれば、西郷は同時に10匹以上の犬を飼っていたという説もあります。屋敷には多くの犬が自由に出入りしていたとされ、散歩に行く際も何匹もの犬が行列のように後をついてきたそうです。
この姿を見た人々からは、「まるで犬の王様のようだった」と驚きをもって語られていたとか。近代日本の歴史を動かした男が、犬と戯れる日常を大切にしていたという事実は、彼の人間味を感じさせてくれる重要なエピソードです。
■ まとめ:刀ではなくリードを持った“優しき英雄”
西郷隆盛というと、どうしても「戦」「政治」「維新」といったイメージが先行しますが、愛犬家としての一面を知ることで、より立体的で親しみ深い人物像が浮かび上がってきます。
“剛”のイメージの裏に、“柔”の心があった。
刀よりもリードが似合う瞬間もあった――
それが、西郷隆盛という人物の魅力のひとつなのです。
実は「太っていた」わけではない?――肖像画と実像の違い
■ 私たちの知る“西郷像”は誰が描いた?
教科書や銅像などでおなじみの西郷隆盛――ふくよかな顔にずんぐりとした体型、少し愛嬌のある雰囲気。これが広く知られている“西郷どん”のイメージです。
しかし実は、この肖像画や銅像に描かれている姿、本人の実像とは大きく異なる可能性があることをご存知でしょうか?
この代表的な肖像画は、明治時代の洋画家・キヨソネ(イタリア名ジュゼッペ・キヨソーネ)が描いたものです。彼は西郷を一度も直接見たことがなく、関係者の証言や参考資料をもとに、想像で西郷の顔を再現したとされています。
■ 生涯“写真嫌い”だった西郷隆盛
このように肖像画が「想像」で描かれることになった背景には、西郷の極端な写真嫌いという性格が関係しています。
西郷は、洋装や写真撮影を「驕り(おごり)」と感じていたふしがあり、政治家としての地位が上がっても一度も写真を撮らせなかったと言われています。幕末の志士や明治の元勲の中で、これほどまでに姿を残さなかった人物は珍しい存在です。
そのため、現在まで残っている“西郷の顔”は、**あくまで人々の証言や弟・従兄弟たちの顔を参考にした“再現図”**に過ぎないのです。
■ モデルは“別人”?肖像のもとになった顔とは
有力な説によると、キヨソネが参考にしたのは西郷の従兄弟であり、後に元帥となる大山巌だと言われています。確かに、大山巌は恰幅のよい体型と丸い顔立ちが特徴で、現在の西郷像とよく似た容姿です。
また、キヨソネは「日本人らしい英雄像」を意識して描いたともいわれており、本人の特徴よりも“理想像”を追求した可能性も否定できません。
■ 本当の西郷は“面長で精悍な顔立ち”だった?
西郷を実際に見たことがある人々の証言を集めると、現在の肖像とは異なる描写が多く見られます。
- 顔立ちは「面長で鼻筋が通った精悍な顔」
- 体型も「そこまで太っておらず、むしろ筋肉質」
- 表情は「厳しさと優しさが混ざったまなざし」
こうした証言から、現在の「丸く太った西郷像」は、かなりデフォルメされたイメージであると考えられています。
特に晩年は健康状態が悪化し、体重の増減もあったとされますが、少なくとも若い頃や壮年期には、軍略家らしい鋭い風貌をしていた可能性が高いといえるでしょう。
■ なぜ“丸顔で太った”西郷像が定着したのか?
ひとつには、「民衆に親しまれる英雄像」として、柔和で堂々とした体型が象徴的に扱われたという背景があります。
西郷は質素な暮らしや人情を重んじた人物だったため、庶民的で優しい印象の容姿が“理想の人格”として受け入れられたのかもしれません。現代で言うところの“ギャップ萌え”のように、武人でありながら柔らかい雰囲気という意外性も魅力の一因でしょう。
また、上野公園の西郷像(高村光雲作)もそのイメージを補強しました。浴衣姿に犬を連れた姿は、あえて「日常の西郷」を表現したものであり、政治や戦の場ではなく、親しみやすい“人間・西郷”を意識したものだったのです。
📝まとめ:顔は違っても、人格は伝わった
今日、私たちが知る「ふくよかな西郷像」は、たとえ実物とは異なっていても、その内面――人柄、信念、優しさ――を象徴するビジュアルとして定着しています。
つまり、姿は虚構でも、西郷隆盛の本質は人々の心にしっかり届いているのです。
本当の“顔”を知らなくても、彼の“魂”は私たちに伝わっている――それこそが、本物の英雄の証ではないでしょうか。
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島流し先で「農業指導」をしていた?――奄美大島での貢献
■ 政治的失脚による「島流し」――奄美大島へ
1858年(安政5年)、西郷隆盛は、当時の政治的混乱に巻き込まれ、安政の大獄によって幕府から追われる形で奄美大島へ流されました。この流罪は、島民にとっては“重罪人の到来”と受け止められかねないものでしたが、西郷の行動はその予想を大きく裏切るものでした。
当初は身分を隠し「菊池源吾」という偽名を用いて生活していましたが、やがて島民たちと積極的に交流を持ち、地域社会の中に自然に溶け込んでいきます。
■ 奄美の農業改革に尽力した西郷
奄美大島では、当時サトウキビ栽培が主な産業でしたが、栽培法や税制の問題により、農民の生活は困窮していました。西郷はこの現状を目の当たりにし、農民と直接対話しながら、農地の整備や改良型の栽培法の指導を始めます。
たとえば――
- 水利の整備:灌漑(かんがい)施設や水路の整備を提案し、乾燥に悩まされる畑への給水を効率化。
- 輪作の推奨:サトウキビばかりに頼らず、土地の栄養を守るために他作物との輪作を提案。
- 肥料活用の知識共有:堆肥や魚粉の活用を勧め、土地の地力回復にも注力。
これらの指導により、奄美の農業は生産性・効率性の両面で改善され、農民たちから深い信頼を得るようになります。
■ 地元の女性・愛加那との結婚と“家族”の形成
西郷は奄美滞在中、地元の名家の娘愛加那(あいかな)と結婚しています。彼女との間には二人の子(菊次郎・菊草)が生まれました。
この事実は、西郷が単なる“流刑者”ではなく、地域に根ざし、新たな人生を築いていた証拠でもあります。農業指導のみならず、教育や医療、衛生面にも配慮した生活改善活動にも関与していたとされ、彼の存在は島民にとってまさに「恩人」とも言えるものでした。
■ 沖永良部島でも“地中牢”から人々を導く存在に
その後、西郷は再び中央の政治に翻弄され、沖永良部島(おきのえらぶじま)へと移されます。この地では、さらに過酷な「地中牢」に幽閉されるという苦難に遭いますが、それでも島の人々に対して心を開き続け、漢学の教養や道徳を子どもたちに教えるなど、教育的な役割を担いました。
つまり、流刑の地でも西郷は「ただ黙って耐える」だけではなく、自らにできることを最大限に実行し、周囲に貢献する精神を持ち続けていたのです。
■ 奄美で得た“民衆の目線”が明治政府で活かされた?
西郷が奄美・沖永良部で過ごした期間は、彼の人生の中で約5年にわたります。この経験は、彼に庶民の暮らしや苦しみに寄り添う心を育ませ、のちに明治新政府において「民のための政治」を目指す思想の礎となったともいわれています。
武士の身分を持ちながら、農民と共に汗を流し、生活を改善しようと努めた日々――それこそが、西郷の“政治家としての原点”だったのかもしれません。
📝まとめ
奄美大島での西郷隆盛は、「政治に敗れた男」でも「流罪の罪人」でもなく、“民と共に生きる実践者”としてそこに存在していました。
農業を教え、子どもを育て、地域に愛される――
そんな一面から見えるのは、剛胆でありながら、誰よりも人間らしい西郷の姿です。
まとめ
私たちが歴史で学ぶ西郷隆盛といえば、維新の三傑として知られ、江戸城無血開城を実現させ、西南戦争で壮絶な最期を遂げた「英雄」の姿が強く印象づけられています。
しかし、そのイメージの背後には、もっと人間味あふれる素顔が隠されていました。
句を詠み、自然を愛し、時に人生哲学を言葉に託す詩人のような一面。忠実な犬たちに囲まれて暮らし、癒しを求めた愛犬家としての顔。肖像画に残された“太った英雄像”とは異なる、真実の姿に迫る逸話。そして、島流しという逆境の中で、民と共に汗を流し、農業や教育に尽力した実践的なリーダーとしての姿――。
これらのエピソードは、剛毅で厳格な武人というイメージだけでは語りきれない、心温かく、柔和で、民に寄り添う西郷隆盛の本質を浮き彫りにします。
彼はただ時代を動かした政治家ではなく、言葉と心、行動と信念で人々を導いた“真の人格者”だったのです。
このような多面的な西郷像を知ることは、歴史をより深く理解するだけでなく、「人としてどう生きるべきか」を考えるヒントを私たちに与えてくれます。
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